MIPスポーツゲームズ

参加アスリート紹介

バレーボール

中田久美 (なかだ くみ)

中田久美 (なかだ くみ)

MIPスポーツ・プロジェクト理事
元バレーボール日本代表
15歳で全日本デビューし、第15回日本リーグ新人賞受賞。日本リーグではチームとして優勝10回、個人では通算年間MVP3回、ベスト6を6回獲得する等輝かしい成績を残す。日本代表では1984年ロサンゼルスオリンピックで銅メダル獲得。次の88年ソウルオリンピックでは4位入賞、翌年のワールドカップではベストセッター賞を受賞する。92年バルセロナオリンピックではオリンピック日本選手団の旗手も務め、同大会5位入賞。1992年に一度現役を引退するが、1995年に現役復帰表明。1996年日立ベルフィ-ユアシスタントコーチに就任するが、1997年フリーになり、後輩指導・全国各地での講演・バレーボール教室、テレビ解説を行っている。2005年より日本バレーボール協会強化委員に就任。
杉山 明美 (すぎやま あけみ)

杉山 明美 (すぎやま あけみ)

元バレーボール日本代表
ソウルオリンピック4位
東海大学時代、学生日本代表としてユニバーシアード神戸大会で金メダルを獲得。大学卒業後、NECに入社し、日本リーグでは、2回の日本リーグ優勝をはじめ、個人でも日本リーグベスト6を、日本選手権ベスト6、ベストアタッカー賞等受賞多数。日本代表としては、ソウルオリンピックでの4位入賞などの成績を残す。現在はNHKのVリーグ中継の解説やバレーボールボールクリニックで活躍。
大谷 佐知子 (おおたに さちこ)

大谷 佐知子 (おおたに さちこ)

元バレーボール日本代表
ロサンゼルスオリンピック銅メダル
1981年に中田久美と共に15歳でバレーボール日本代表入りを果たす。その後、四天王寺高に進み、春高バレー初優勝の原動力となった。1984年ロサンゼルスオリンピックで三屋、広瀬、中田らと共に銅メダル獲得。日本リーグではカネボウ、パイオニア等でチームの中心選手として活躍した。
広瀬 美代子 (ひろせ みよこ)

広瀬 美代子 (ひろせ みよこ)

元バレーボール日本代表
ロサンゼルスオリンピック銅メダル
日本代表の中心選手として1981年ワールドカップの銀メダル獲得に大きく貢献をし、自身も最優秀レシーブ賞、ベスト6を獲得した。その後、84年ロサンゼルスオリンピックでは銅メダルを獲得。 日本リーグではユニチカに所属し、日本リーグ優勝2回、レシーブ賞2回、サーブ賞1回を獲得した。歴代のバレーボール日本代表の中でも、最も評価の高いレシーバーの一人である。
廣 紀江 (ひろ のりえ)

廣 紀江 (ひろ のりえ)

元バレーボール日本代表
ロサンゼルスオリンピック銅メダル
ソウルオリンピック4位
学習院大学助教授
筑波大学時代は、神戸ユニバーシアードで金メダルを獲得。その後、全日本入りし、日本の中心選手としてロサンザルスオリンピック銅メダル獲得、ソウルオリンピック4位入賞の原動力となる。
また、日本リーグでも日立の中心選手として、中田、大林らと実業団リーグ優勝等黄金時代を作る。現在は学習院大学助教授、同大女子バレーボール部コーチ。
中野 照子 (なかの てるこ)

中野 照子 (なかの てるこ)

元ビーチバレー日本代表
アトランタオリンピック出場(ビーチバレー)
青山学院大学在籍時には神戸ユニバーシアードの日本代表として金メダルを獲得。その後日本リーグの小田急で活躍。ビーチバレーに転向後は、日本代表として、アトランタオリンピックのビーチバレーに出場し9位となる。現在は、東京、神奈川を中心に数多くの小学生を対象としたバレーボールクリニックを開催している。
高尾 和行 (たかお かずゆき)

高尾 和行 (たかお かずゆき)

アトランタオリンピックビーチバレー日本代表
元ビーチバレー全日本監督
元バレーボール日本代表候補
インドアでは法政大学、住友金属でセッターとして活躍。法政大学時代の88年からビーチバレーを始め、多くの国内大会で優勝。94年のアジア大会で金メダルを獲得。96年のアトランタ五輪では日本代表(17位)。現在も長年、日本のビーチバレーを引っ張ってきた“キング・オブ・ビーチ”として指導者、そして選手として、日本ビーチバレー界の顔の役割を果たしている。
本郷 友恵(ひがしたに ともえ)

東谷 友恵(ひがしたに ともえ)

元バレーボール日本代表
金沢商高から日本リーグの名門ユニチカで活躍。日本リーグでは、88年度、89年度にリーグのレシーブ賞を獲得、また88年度はベスト6にも選出された。バレーボールの日本代表のレフト、レシーバーとして86年の世界選手権、89年のワールドカップ等でも活躍した。
大竹 秀之 (おおたけ ひでゆき)

大竹 秀之 (おおたけ ひでゆき)

元バレーボール日本代表
バルセロナオリンピック出場
現役時代は、VリーグのNECブルーロケッツで活躍。1997年には同リーグのベスト6に輝き、翌年1998年のリーグではチームを優勝に導いた。日本代表としては、世界選手権・ワールドカップ・オリンピック(バルセロナ)の3大大会全てに出場。日本を代表するセンタープレイヤー。
吉原 知子 (よしはら ともこ)

吉原 知子 (よしはら ともこ)

元バレーボール日本代表主将
バルセロナ・アトランタ・アテネオリンピック出場
国内リーグでは、日本リーグ優勝3回、Vリーグ優勝4回を果たし、MVP・ベスト6、スパイク賞等数々の個人賞も獲得した。そして、日本代表としては、ワールドカップ出場3回、世界選手権出場2回、オリンピック出場3回を果たし、2004年のアテネ五輪では主将を務めた。
中垣内 祐一 (なかがいち ゆういち)

中垣内 祐一 (なかがいち ゆういち)

元バレーボール日本代表
バルセロナオリンピック出場
堺ブレイザーズ監督
福井県福井市出身。筑波大学4年時にワールドカップに全日本代表として出場。それ以来、全日本のスーパーエースとして活躍する。大学卒業後、新日鐵に入社。1992年のバルセロナ五輪では6位入賞を果たすなど、数々の世界大会に出場。Vリーグでは、チームを優勝に導き、個人としてもベスト6、MVP、敢闘賞等数々のタイトルを獲得。現在は、堺ブレイザーズにて監督を務めている。
青山 繁 (あおやま しげる)

青山 繁 (あおやま しげる)

元バレーボール日本代表
バルセロナオリンピック出場
法政大学卒業後、富士写真フィルムバレーボール部に入団。日本代表として、世界選手権・ワールドカップといった多くの国際舞台で活躍した。1992年には、バルセロナオリンピックに出場しチームの中心選手として活躍した。Vリーグでは、最高殊勲選手賞1回、レシーブ賞5回、ベスト6賞3回、敢闘賞1回、サーブレシーブ賞2回といた数々の個人タイトルも獲得した。
南 由紀夫 (みなみ ゆきお)

南 由紀夫 (みなみ ゆきお)

元バレーボール日本代表
北海道札幌市出身。東海大四高校時代は、国3連覇を達成し、東海大学へ進学。Vリーグでは、富士フィルムのセンターたとして活躍。1991年のワールドカップやアトランタ五輪アジア予選等の様々な世界大会で、日本代表として中垣内・大竹らと活躍した。現在は、富士フィルムに勤務しながら全国でバレーボールクリニックなどの指導を行っている。
佐々木 太一 (ささき たいち)

佐々木 太一 (ささき たいち)

元バレーボール日本代表
元サントリーサンバーズ主将
Vリーグでは、歴代2位の通算774セットに出場。通算スパイク決定率は56.77%で、歴代2位。通算ブロック決定本数では631本と歴代1位の記録を残し、個人賞としてもベスト6賞を5回(歴代2位)スパイク賞を1回受賞した。また、日本代表としても、1994年の世界選手権・1995年のワールドカップの1992年〜1996年のワールドリーグ・1994年のアジア大会の1993年・95年・97年のアジア選手権に出場した。
田中 幹保

田中 幹保

元バレーボール日本代表
モントリオール・ロサンゼルスオリンピック出場
元バレーボール日本代表監督
オリンピックに2回(モントリオール・ロサンゼルス)、ワールドカップには3回出場。特に1977年のワールドカップ東京大会では銀メダルを獲得。一方、日本リーグでも新日鉄の11回のリーグ優勝に大きく貢献し、最優秀選手を7回・スパイク賞を4回獲得。1986年には監督も兼任し、1989〜91年には監督・選手としてリーグ3連覇を成し遂げた。1991年に引退し、1993〜94年にはアメリカ・イタリアにコーチ留学。その後全日本ジュニアの監督を経て、2000年10月から2004年まで全日本男子代表監督。現在は堺ブレイザーズ副部長。
岩本 洋(いわもと ひろし)

岩本 洋(いわもと ひろし)

元アトランタ五輪ビーチバレーボール監督
元小田急バレーボール部監督
長崎県五島出身。日体大後、教員を経て、日立入りし、バレーボール日本リーグ女子で日立を優勝させた監督。ソウルオリンピック全日本のコーチとしてトップアスリートを指導。その後、小田急バレーボール部の監督を務め、アトランタオリンピックには、ビーチバレーボール女子チームを率いて出場した。
宮崎 謙彦  (みやざき のりひこ)

宮崎 謙彦  (みやざき のりひこ)

元バレーボール日本代表
元松下電器パナソニックパンサーズ
日本を代表するエースアタッカーとして1994・ 1998 世界選手権、 1996 アトランタオリンピックアジア大陸予選 等に出場。また、Vリーグでは、松下電器パナソニックパンサーズで個人としても、猛打賞1回、BEST6に2回選出される等、日本のトッププレイヤーとして活躍した。
齋藤 信治(さいとう のぶはる )

齋藤  信治(さいとう のぶはる )

元バレーボール日本代表
北京五輪出場
日本体育大学を卒業後、Vリーグの東レ・アローズで活躍。Vリーグでは、2002年に、スパイク賞とベスト6を、2003年にスパイク賞を受賞した。 また、全日本代表としては、2008年に北京オリンピックに出場し、その他、世界選手権は2006年、ワールドカップは1995年、1999年に出場した。

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